晴耕雨読②

晴耕雨読 つづき)

そんなわけで、たとえ達観したかと思えても会社組織の一員として活動すると、その仕組みの中で競争、すなわち頑張って仕事をすることになるわけである。

ちなみに、頑張って仕事をすることは、大変価値のあることだと思う。ところが、その動機が競争ということなら、自発的というよりはきわめて強制的であり、心がついて行っていないことも多い。(もちろん、競争好きな人たちもいるので、その人たちにとっては会社組織は居心地が良いのだろう。もちろん、勝ちづづけていれば、という前提で)

 

僕も入社して20余年、入社当時いったん目標としていた部長級は達成した。しかも、当時のやたら細かいランク付けの部長級より十分高いランクに居る。もういいじゃないか、と思っている。ところが、自分と同じランクの人たちを見るにつけ、なぜこいつらと同じなんだ、と思ってみたりする。そのあたりは負けず嫌いなのだろう。言い換えると競争好きなのかもしれない。

 

でも、もう動機は変わってしかるべきである。

むしろ、入社当時は出世などあまり目的や動機にはしていなかった。仕事で成長し、成果をだすことが目的であり動機であった。一方で、そうすれば必ず出世するはずだという必ずしも論理的ではない人事の中にあって根拠のない自信があったのだろう。多分、自分は優秀だと思っていたし、周りからもそう言われていたのかもしれない。

ところが、それも30代前半まででその後は、徐々に会社の出世レースの仕組みに囚われていく。その後10年ぐらいは囚われながら、40代半ばでもう良いのではないか、という思いに至った。

 

それなのに、である。

それなのに、まだこんな記事を書いているところが、会社という組織の人事制度の巧妙なところなのだとつくづく思う。