子育ては二度目の人生

子育ては二度目の人生だと常々感じる。

自分の家族として新生児や乳児という未知の生物が現れて、右往左往しつつお世話に追われていると忽ち幼児になる。子供が幼児ぐらいになると自分の幼少期の追憶とともに懐かしさや失われたものに心を惹かれてノスタルジックを感じる。幼児時代の追憶は子育ての中でしかなかなか語られないことだと思う。この時期については、自らの幼少期を振り返って感じることとして目いっぱい感受性を高める環境を与え、多くを経験させることだと思う。そして、親子ともども、とにかく楽しく幸せに過ごすことだ。子供には何のストレスも感じさせず、幸福感で一杯にしてあげることが重要だと思う。

 

 そして、小学校や中学校、高校へと進み二度目の少年期や青春をそばで感じることができる。一方で、自分が出来なかったことや失敗したことをアドバイスできるというのも特徴であり責任であろう。例えば、僕は空手が習いたかったのだがなかなか環境が無く習えなかったわけだが、幸い子供達には近くに教室があったため通わせた。僕の子供は男の子が二人なのだが、二人とも嫌がらずに通い、体力的に自信をつけたように思う。周りに暴力があるわけではないが、あったとしても自信をもって対応できたであろう。(子供同士の小競り合いであれば余裕をもって受け流すであろうし、本当に危険なことがあれば逃げることを選ぶであろう。)

 

 中学受験は本人が望んでいないし親である僕も出来れば地元の中学で末永く近所の友達と仲良くできる環境を与えたかったため薦めはしなかったが公文や塾には通わせた。長男は小学校から塾通いであったが次男は塾へは行きたくないらしく自学自習で対応している。長男は自学自習ができない性格であるため塾で(半ば半強制的に)勉強させる。次男は自分でコツコツと勉強できるため、自学自習を選択させる。(自学自習でも今時点はそれなりに成績は良いので選択させている)このように、本人の意思を尊重しつつ、しかし足りていない部分は積極的に補うように努める。勿論、試行錯誤で色々失敗は多い。𠮟りすぎた週末に単身赴任へ戻るときは後悔と自己嫌悪に陥ったものだ。しかし、これも自分が出来なかったこと等の経験や教訓をナントカ活かそうという試みである。特に長男は試行錯誤が過ぎたきらいもありちょっとした被害者であるかもしれないが、本人も試行錯誤だね、と言ったときは良くわかってるなぁと思ったものだ。そんな過程を通して親も成長させてもらっているのだろう。そして、日々子育ての中で追憶を伴う。

 

 僕は高校受験も大学受験もあまり向き合えなかったので、子供達にはしっかり向き合うように仕向けている。長男の高校受験もハラハラドキドキの再来だった。(まるっきり解答できなかった自分の入試をリアルに思い出す)

 そして遂に大学受験という10代にとっては最大の難関にどう立ち向かうか。非常に難しい。自分が出来ていないことをどうやれば子供たちができるようになれるのか。どんな環境を与えればよいのか。まだまだ高校生では不足しがちな情報収集力や分析、判断力をサポートしつつの試行錯誤である。予備校に放り込めば楽なのかもしれないが、親子で試行錯誤することも重要だと思う。(そもそも予備校は莫大なお金もかかるし、主体的に取り組まなければ効果は低いと感じている。)

 

 子供たちの受験に対する親としてのサポートは、もちろん、仕事がおろそかになってはいけないが仕事以上に重要であるとつくづく感じる。二人とも医学部という高い目標ではあるが、きっと乗り越えられるものと信じてサポートを続けていきたい。このサポート以上に優先事項はないと強く感じているが、過干渉にはなりすぎないようにすることも非常に重要であると思っている。(子供の成長の驚きについては別途綴りたい)